おもしろコラム5月号
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置くということにも繋がったように思います。(いつの時代も、教師にとっては、右と言えば、何も考えずに右を向ける生徒こそが、もっともいい生徒であった・・・とは言い過ぎでしょうか?)しかし、明治維新から150年が経ち、特にこの10年くらいは選択肢が増えた教育を受ける側と、教育機関自体の多様化、そして何より、足音もなく近づきつつある少子化というものを考えたとき、もう少し柔軟な物に変えてもいいように思います。その意味で、中でも私が特に疑問に感じているのが「学校」よりもむしろ、「学年」です。理解していようがいまいが、皆一様に1年で打ち切ってベルトコンベヤーに乗せて上へ上げてしまうというのは、いかにも乱暴な話ですよ。同じことを学んでも国語は1年で理解するけど、算数は6年かかる子供もいるわけで。結果、わからない子供はわからないままに次の学年に進んでしまうことで、余計わからなくなり、学習への意欲を失う。 めには、学年制をやめて単位制にすべきで、無論、判断能力が低い子供に単位を選択させるのでは無く、教師が客観的に判断し、「この子は算数はもう㆒年」というふうに割り振ればよく。同じ年の子供とのふれあいがなくなるというのなら、「組」というものは維持したままの単位制とし、その授業が終われば、それぞれの組へ帰って行くなどの助長補短策を講じればいいのではないでしょうか。        (小説家 池田平太郎絵:吉田たつちか)201805/-  この弊害を改めるた5月号-161

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