おもしろコラム5月号
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処理するという。犬が糞や小便をするのが当たり前という大陸的な心持なのである。そういえば、私が子供のころ、紐につながれていた犬はいなかった。そのためか、年に何度かは、犬のドッキング風景を目撃した。そういう場合は、子供も大人も犬に水を掛けて、引き離そうとするのだが、容易には離れない。当然、ドッグフードなるものは売っていないので、家人の残飯を食すのが普通であった。かくて、生ゴミなど生じることも少なく犬猫がゴミ処理の一翼を担っていたのだ。海辺では今でも、魚調理後の残ったはらわたは海岸に捨てる。カラスや海鳥がすぐにやってきて食べつくすのだ。姪曰く、ドッグフードでなければ、犬の寿命が短くなる、ましてや、残った味噌汁をあげるなど言語道断、高血圧になって早死にすると、私が殺犬者であるかのごとく怒る。我が家の犬は、残飯を与えてからというもの、ドックフードには見向きもしない。残飯がなく、ドックフードだけだと分かる時だけやむなく食べる程度だ。ドッグフードより残飯の方が美味しいのだ。まずいドッグフードを食べて、少しばかり長生きしたからって犬にとって幸せではあるまい。残飯を食べている犬の方が世界中では多いはずだ。犬が紐につながれ、囚人のような生活をしているものだから、一生、童貞、処女のままの不幸な犬が少なくない。田舎暮らしで是非やりたかったことが、鶏を飼い、毎朝、産みたての卵を食することであったが、これは犬を飼う以上に難しい。近所の老夫婦の高床土台柱内には金網が張ってある。昔、ここで、鶏を飼っていたが、周りに家が建て混んできてからは、鴇(とき)の声が近所迷惑になるからと、やめたのだそうだ。カラスや鶯の鳴き声は我慢できて鶏の鳴き声を我慢できないのも不思議だが・・・・。昔、栃木の湯西川温泉など、平家の落人部落では、鶏を飼うことや米のとぎ汁を川にながすことが禁じられていた。源氏方に知れるのを恐れたからだ。現代はまさに、ほとんどの場所が平家の落人部落状態になってしまったようだ。5月号-165犬の幸せ優先といいながら、実は、飼い主の利便性優先なのではあるまいか。人間の価値観で犬を飼うのはいかがなものか。       

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