おもしろコラム6月号
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ていく上で、もっとも必要だったことなのでしょう。)この点で、ご承知の通り、残念ながら、日本軍には補給という発想がまるでなく、これでは、攻める側から見ればぽつんぽつんと、そこに点在する砦を、ひとつひとつ各個撃破していけばよく、これでは、まさに何をか言わん・・・だったかと。 日本軍は、軍政・軍制という点で、日露戦争以来、作戦や砲術・戦艦というものが軍の主流であり続けたことから、料亭の女将が、所属部課によって、その軍人の将来性を判断し、ツケを加減したと言う話からも窺い知ることができる通り、予算会議でも、どれほど戦局が悪化しようとも、いや、むしろ、悪化すればするほど、作戦課が予算の大半を持って行き補給は極端に軽視されるという。 その結果、本来であれば、これらの砦に栄養を運ばなくてはならない補給が、ろくに護衛も無い裸同然で物資を運搬せねばならず、となれば、当然、次々に撃沈されていくということになってしまい、砦に籠もる将兵を飢餓地獄に落としたばかりか、主城を守る手足となるはずの砦を無為に失うということにも繋がり、またもや、一層の戦局の悪化を招くという悪循環を招いたと言えるでしょう。 孫子の一節の中に、「常山の蛇」という言葉があります。  「よく兵を用うるものは、たとえば卒然の如し。卒然は常山の蛇なり。その首を撃てばすなわち尾至り、その尾を撃てばすなわち首至り、その中を撃てばすなわち首尾ともに至る。」  「常山」という、河北省曲陽県にある山に棲む、素早い動きをすることでしられた伝説上の大蛇の話ですが、「頭を攻撃されると尾がこれを叩き、尾を叩くと頭が噛みつく、ならばとばかり、胴体を叩くと、頭と尾で反撃する。」ということで、よく、「理想の組織」のたとえとされてきた話ですが、太平洋戦争とは、本来、戦う以上はこういう風6月号-143に戦うことを求められた戦いだったのではないでしょうか。    文:小説家池田平太郎(/   絵:吉田たつちか)

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