おもしろコラム6月号
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      宮崎四兄弟父母の教え先般、「孫文の子孫と宮崎滔天の子孫が会談」という記事を目にしたのですが、孫文を支援した日本人としては、最近では梅屋庄吉が有名ですよね。当時、孫文の支援者として有名だったのは宮崎滔天を始め、頭山満や平岡浩太郎といった人たちだと聞いております。(先日、テレビで「天皇家の親戚で大正三美人の一人に謳われた柳原白蓮が人妻でありながら、若き東京帝大の学生と駆け落ちした・・・」という、当時の大スキャンダルについて採りあげた番組の中で「その帝大生が宮崎滔天の息子・龍介だった」という説明があったときに、ゲストは皆、「誰?」状態で、これを見た司会者が「お父さん(滔天)はちょっと前までは有名でしたよ」と述懐しておられました。) その、宮崎滔天・・・ですが、実は私も、「孫文を支援した民権運動家」、「長兄は西南戦争で戦死」、「息子は筑豊の資産家、伊藤伝右衛門夫人・柳原白蓮と駆け落ちした」、「宮崎四兄弟と呼ばれ、特に早くに戦死しか知らないのですが、とにかく戦前は有名だったそうです。      たた長だ兄、を今除はくお下そ三ら人くは、民こ権の三名兄前弟をと知呼るば人れはた決」し・て・多・くとないいうとく思らいいまにすし6月号-157

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