おもしろコラム6月号
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三兄が慶応3年生まれの宮崎弥蔵、そして末弟が明治3年(1867年)生まれの宮崎寅蔵(滔天)なのですが、当然、私がこの兄弟の業績について何事か語れるわけもなく、申し上げたいのはその両親の教えについてです。 は長兵衛、母は佐喜と言い、(ちなみに、四人以外の男子は皆、早世したそうで、八郎が次男、寅蔵は八男だそうです。)宮崎家は肥後国玉名郡荒尾村(現熊本県荒尾市)の下級士族の出だったそうですが、両親は兄弟が幼い頃より、「男子が畳の上に死するは恥辱なり」と言い聞かせていたそうです。つまり、「男と生まれたからには平凡に死ぬな!」事自体、宜なる哉と・・・。)ただ、一方で、この点では思い起こすことがあります。 それは、中国の客家(はっか)というものの子供たちへの対処の仕方についてでして・・・。客家というのは簡単に言うと、昔の中国で戦乱を避けて中央から移り住んできた人たちのことで、鄧小平、李登輝などを輩出したことで知られます。 が、その多くは現地の人達との軋轢も有って少なからず迫害の歴史を経てきており、そのため、国家というものをまったく信用していないのだとか。 したがって、子どもが4人いたら、1人は中国に置き、残りはアメリカ、ヨーロッパ、日本などへ分散して住まわせる・・・と。 つまり、子どもが可愛いからといって、一族が一つ所に固まっていたら、戦争や天災などにあった場合、一族が一度に全滅するということになりかねないわけで、これはこれで、確かに、考えさせられる話ではあります。 もっとも、この一理ある話を宮崎兄弟の親にしたならば、一言、「だから何?」と言われたのかもしれませんが・・・。 /             (小説家池田平太郎そねたあゆみ)兄弟の父とのでい、う簡こ単とにで触、れいてかおにきもま、す明と治、長と兄いがう嘉時永代4の年雰(囲1気8を5感1じ年さ)せ生るま話れでのは宮あ崎り八ま郎す、が次、(兄が今慶の応草元食年日生本まにれはの当宮て崎は民め蔵る、    6月号-158  

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