おもしろコラム6月号
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/-     絵:そねたあゆみ)201706この点は、航空機が登場するまでは大体、これくらいかかったようで、1902年の岩崎弥之助(三菱財閥創始者)    6月号-172  も、1908年の原敬(後の総理大臣)もともに7ヶ月を要しています。もちろん、これらは、行って帰るだけが目的の弾丸ツアーではありませんから、莫大な金を消費しての、のんびり優雅な旅だったことは事実でしょう。 では、最短で世界一周すると何日か?に人々の関心が集まり始めた頃、これを煽るように大ヒットしたのがジュール・ヴェルヌの小説、「八十日間世界一周」で、こうなると、単独でこれに挑もうという野心家が登場するのも時代の成り行き。結果、その栄冠は、うら若き二人のアメリカ人女性記者の「競争」に委ねられます。一人は、自らこの企画を立案し売り込んだネリー・ブライ。彼女は、野口英世を彷彿とさせるほどの見事な雑草魂の持ち主で、圧倒的な男社会のアメリカ新聞業界にあって、男性顔負けの体当たり取材で名を挙げます。一方の、エリザベス・ビスランドはこれと対照的に美貌と文才が売りのおしとやかな女性。急に「さあ、おまえも行け」と言われて困惑したものの、結局、押し切られて「競争」に参加。結果、ネリーが72日で世界一周を成し遂げ、一躍、アメリカの国民的ヒロインとなりますが、それら「兵どもが夢の跡」も第二次大戦後、台頭した航空機により、急速に歴史の彼方に追いやられたことは周知の通りです。  (小説家 池田平太郎

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