おもしろコラム6月号
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” 使われたとき自分の魂が穢(けが)れることをおそれての行為と思われます。 箸と同様に自分の口をつける茶碗なども家族でそれぞれ自分用のものがあるのですが、これも同様の理由で他人が口をつけると穢れるという隠れた信仰心から出たものなのでしょう。 日本人は無宗教と思われがちですが、こんなところに宗教心があるとは、ほとんど気が付いていないのでしょうね。 割り箸は江戸時代後期に出てきたものですが、まだ誰も使っていない清潔な箸を、使い捨てにするというものが、日本人の合致して広まっていったのでしょう。 (食文化研究家巨椋修ちか)201206穢れの信仰心と絵:吉田たつ          6月号-53  -/“ 

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