おもしろコラム6月号
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卵以外には後に和食を代表することになる天ぷら。これは魚などを油で揚げたり衣をつけてフライにしたものが和食化したものです。徳川家康が鯛の天ぷらもしくは油揚げに当たって亡くなったことは有名ですね。 南蛮料理と言われた西洋料理ですが、日本で広がったのは当時やっと普及しだした砂糖を使ったカステラ、コンペイトウ、ボーロお菓子でした。 江戸時代に和食がほぼ完成し明治と戦後に飛躍した260年続いた江戸時代は、鎖国状態の中で独特の文化を築きました。食文化もしかりで、和食も江戸時代にほぼ完成したといっても過言ではないでしょう。 は他国と違い、支配層である武士階級の活躍はあまりなく、庶民が食文化を発展させたところにあります。以前にも    6月号-68  書きましたが、現在海外で人気の和食の多くは江戸時代の食文化は庶民が作り出したものが中心でした。 さきほど挙げた天ぷらは江戸時代では主に屋台で食べられていました。寿司もそうです。そば、うどんもしかり。これらは家庭や高級料亭で食べるものではなく大衆料理でした。 明治時代になると、欧米の影響から和食の幅が大きく広がります。すき焼きは牛鍋から変化したと言われていますが、最初は荒くれものや肉体労働者しか食べない下品なものとされていたようです。 トンカツは逆に上流階級が晩餐会で食べていたフランス料理のコートレットを庶民風に変えたもの。コートレットは英語だとカットレット(Cutlet)、カットレットがカツレツとなり、豚の音読みであるトンとカツが合わさりトンカツと言われるようになりました。  明治になり西洋料理が和食に取り入れられることによって、和食は大いに飛躍しましたが、さらなる飛躍が太平洋戦争後です。海外からの流通が良くなり、日本はこれまでにない豊かさを手にいれます。町には世界中の料理店が並び、家庭料理でも今日は和食、明日はイタリアン、あさっては中華と世界中の料理を家庭でも食べるのはおそらく日本くらいかも知れません。 江戸食文化の特徴       

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