おもしろコラム7月号
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     体育会系薩摩藩士が見た長州の同志的放言慶応2年(1866年)、坂本龍馬、中岡慎太郎らの仲介の下、薩長同盟締結を目指す薩摩藩は長州藩に対し、使者として28歳の薩摩藩士・黒田清隆(後の内閣総理大臣)を送り込みます。到着後、大坂での薩摩の西郷隆盛と長州の桂小五郎(木戸孝允)との対面を提案したところ、慎重居士の桂は逡巡する姿勢を見せたそうで、すると、この時、同席していた長州側の主要人物の一人で桂の6歳年下になる高杉晋作が、桂に対し、「桂一人死んでも長州が滅びるわけではあるまい」と、まるで尻を叩くかのように言い放ったとか。体育会系である薩摩藩では、下っ端の黒田君が12歳上の西郷先輩や10歳上の大久保利通先輩らに対して、「西郷や大久保が一人死んだくらいで・・・」などいうような発言は絶対にあり得ないことだったそうで、黒田はこれには本当に驚いたそうです。(ちなみに、高杉は黒田の1歳年上。)これに対し、桂はしばらく熟考した後、「よし、行こう」と、    上方行きを決意する・・・と。7月号-125

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