おもしろコラム7月号
128/178

把握していたのでしょう、戦後、兄、氏政と共に切腹を命じられています。一方、板部岡と並んでもう一人、外交に尽力した人物に北条氏規がいます。この人物は氏政、氏照らの同母弟になりますが、五男坊ともなると、もう、単なる人質要員。そのため、幼少時は駿河今川家に人質として出され、この頃、同じく、今川家の人質となっていた徳川家康と親交を持ったといわれています。(まあ、この辺は伝説の域を出ない話ですが、私はその後の両者の親密な交流を見れば十分に有り得る話ではないかと。)年こ)、の豊辺臣は秀、吉言のう小な田ら原ば征、伐同が族勃企発業す北る条とに、お反い対て意、見氏を政抑代え表こ取ん締で役徹社底長抗会戦長を、主氏張直。代秀表吉取も締そ役の社辺長の、力氏関照係代は表的取確締に役    7月号-128  副会長に、氏規取締役営業部長、板部岡営業課長・・・といったところだったでしょうか。氏規は外交責任者となって後は、特に、その人脈を活かして対徳川外交に強みを見せたようですが、それだけに板部岡とともに「世界」の現実が見えていたのでしょう。秀吉への臣従を強く主張しますが、結局、兄たちが受け容れるところとならず、小田原征伐が開始されると韮山城に籠り、大軍を相手に善戦するも、最後は家康の説得を受け入れて開城しています。この辺り、とかく、軍部と外務省とは見解が違うもの、そして、最後は勇ましい軍人の意見に引きずられるもの・・・なのでしょう。       (小説家 池田平太郎絵:吉田たつちか)201607 - 

元のページ  ../index.html#128

このブックを見る