おもしろコラム7月号
131/178

     信長が西向きゃ家康は東上杉謙信の生涯を動線で表すと、彼は関東に一番多く出兵しており、次が川中島、最後が京都方向という順になります。即ち、東、南、西(北は海)とまさに、動線が全方位に散っているわけです。同様のことが謙信ほどでないにしても、武田信玄、毛利元就など大半の戦国武将にも当てはまります。これに対し、織田信長の動線は西に一本だけ太く伸びています。即ち、重点がはっきりしているわけです。家康の動線は逆に東へのみ伸びています。信長と同盟を結んだ極めて初期の段階で、家康は自      らの動線を、強敵がひしめく東へと決定したわけですから驚きです。す信い長目の標場も合あ、っ西たにわはけ斎で藤す道が三、以家外康にがは東そをれ決ほ定どしのた強段7月号-131敵がいなかったこともあり、何より京というわかりや

元のページ  ../index.html#131

このブックを見る