おもしろコラム7月号
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     壇ノ浦の戦い私は常々、「日本の中世は平清盛から始まる」と思っていますが源平合戦の平安末期というのは中世と古代との境目で、結構、わからないことだらけなんですね。この点、「壇ノ浦の戦い」とは、関ケ原、鳥羽伏見と並び、日本三大会戦の一つに数えられる日本史に残る一大戦闘ですが、これまでの通説は、大正時代に唱えられ始めた「東向き潮流に乗った平氏軍が会戦当初は勢いに乗って攻め立てたが、苦境に立った源義経が本来は反則であるはずの漕ぎ手の射殺を命じたことで、攻撃が停滞。その間に潮流が変わり、源氏が逆襲に転じ勝利した」というものでした。が、先般のNHKの合戦における最新研究の結果を特集した番組では、「壇ノ浦付近では一方向だけではない複雑な潮流が渦巻いており、平氏船団が漕ぎ手を射られて漂う間に、九州側に流れ着いてしまい、義経の兄、源範頼が率いる源氏陸上部隊の矢の射程距離に入ってしまっう。(ちなみに、渡海最短距離の関門海峡は流れが速くて複雑。後年た」のと大い内う、も毛の利でのな大る軍ほもど、、関お門そ海ら峡くを、渡そるれこでと間は違せいずな、い迂の回でししてょ、7月号-141

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