おもしろコラム7月号
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/-15kmほど西の福岡県遠賀郡芦屋町へ渡海しています。)ただ、では、どの程度、源氏側に潮流も含め、総合的に考えた上での、陸海協調作戦があったのかとなると、いささか心もとない話で、まず、兄弟とはいえ、義経と範頼の関係はしっくりいっていません。範頼とすれば、いつも本隊の主将として敵主力を引き受け、苦労しながらも、終わってみれば、美味しい所は全部、義経に持って行かれており、面白くないという感情はあったようです。壇ノ浦合戦直前に義経派遣の報を受けた際には、兄の頼朝に「いらない」と強く抗議しています。また、仮に信頼関係があったとしても、電信設備が無い時代、互いに協調作戦をとることは、それほど簡単でもなかったはずで、もし、ある程度、出来ていたのなら、それを実施、いや、考慮したこと自体が源    7月号-142  氏の最大の勝因だったでしょう。がおそらく、協調意図などはなく、バラバラに戦っているうちに、たまたま、源氏側に良い形となったのだと思います。戦争に限らず、人のやることは案外、そんなもんです。一方、平氏側は範頼に九州から叩き出され、彦島に逼塞を余儀なくされた時点でもはや、孤立無援、清盛以来の兵も多くが逃げ去り、滅亡は時間の問題。そこへ、源氏の大軍襲来と聞き、もはやこれまでと、本来、非戦闘員であるはずの安徳天皇を始め、平清盛夫人時子など一族の女性も壇ノ浦の戦場へきており、これが三種の神器ともどもの入水に繋がったわけですね。これは義経も想定外だったでしょう。      (小説家 池田平太郎絵:吉田たつちか)202207

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