おもしろコラム7月号
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  三国志という読み物    「三国志」。言わずと知れた中国の歴史書で、昨今では、ゲームから漫画、映画と、本家・中国の枠を飛び出して、もはや、世界中で認知されるまでになった観があります。ただ、一般に知られているそれは、魏・呉・蜀の三国が鼎立した三国時代から1000年以上経って、正史を面白おかしく脚色した「三国志演義」のほうで、正史について言えば、元々、三国滅亡後の晋の時代に、陳寿という人物が官撰の物とは別に、個人的に書いていた物があまりに出来が良かったため、その死後、これを筆写するよう勅命が下り、事実上の公認書物となったとか。(さらに、それから400年ほど経った唐の時代に、遂に、陳寿版三國志は正式に「正史」として認定されています。)で、この陳寿ですが、晋王朝に仕える役人でありながら、実は晋に滅ぼされた蜀王朝の出身で、つまり、彼は吸収合併された側の人間だったんですね。(名軍師・諸葛亮孔明が五丈原で没したとき、満1歳。つまり、彼は母国の凋落を目の当たりにしながら成長したということ。)したがって、彼は三国の中では最小国だった母国・「蜀」に同情的に三國志を描いたわけですが、一方で、彼が仕えた「晋」は、三国の中で最大だった「魏」王朝の部将一族が魏帝から帝位を簒奪して成立した王朝であり、晋帝からすれば、魏をあまりよく描かれても困るが、と言って、晋に悪いことを書かれても困る。陳寿自身、晋に仕える身でもあれば、晋への配慮から、書けないことも多かったようで、内容も必要最低限、割合、簡潔であったようです。た物は文帝が「これは不朽となるだろう」と絶賛したほどの出来で、確かに、正史そのものよりもこの注釈の方が面白くそ、ここでれ、が陳な寿けかれらば1、00後年のほ三ど国後志、演南義朝、「引宋い」てのは文、帝現が在裴の松三之国と志いブうー人ムにも命なじか、っ正た史でのし注ょ釈うを。作たらだせ、ま裴すそ。の完人成はし、7月号-143  

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