おもしろコラム7月号
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触が子供には面白く、そして次の袋からは一体いくつ種が出てくるのだろうと、いくつもいくつも潰すのが止められなくなった想い出があります。その種ですが、奈良や平安時代には下剤として使われていたそうです。もともと朝顔は観賞する花として日本に伝来したのではなく、薬として中国から遣唐使が持ち込んだものでした。薬は牽牛子(けんごし)と呼ばれ、中国で牽牛(けんぎゅう)と朝顔の種を物々交換していたことからその名が付いたとのこと。下剤としての効き目はとても強く、嘔吐や血圧低下も伴うそうですから、まあ、食あたりのような状態になるわけです。現代に生きる私たちにはオススメできない薬ですね。観賞用となったのは江戸時代になっ  てから。全国各地で朝顔栽培が大流行し、品種改良まで行われたようです。という十センチほどの大輪を作ったと言ないかまですもか熊ら本、藩当の時武の士人は々『の肥朝後顔朝に顔か』7月号-37

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