小牧長久手の戦い小牧長久手の戦いという物があります。織田信長の死後、羽柴(豊臣)秀吉と徳川家康の間で戦われた戦いですが、戦い自体は両軍睨み合いの後、秀吉軍が動いたところを家康が奇襲、家康の勝利となって後の家康の天下獲りの伏線となったと言われています。ただ、この戦いは実際の戦闘だけではなく、勃発から決着 8月号-104 までを含めた一連の流れで見ると、秀吉と家康、まさに名人戦の趣があります。まず、秀吉は信長の死後、織田家の内訌を制し、その遺領の大半 を得ます。一方、家康はその間、信長の死によって無主の地となっていた甲斐(山梨県)、信濃(長野県)を併呑しますが、しかし、信長は天下統一目前だったわけですから、この時点で秀吉の領土はどの大名よりも圧倒的に大きく、おそらく黙っておいても家康はすり寄ってくると考えていたでしょう。ところが、家康は、信長の次男、信雄から応援要請を受けると敢然と立ち上がります。この時、家康は脂が乗り切った満四一歳。数々の難戦をくぐり抜けてきたことで、それなりに自信があったのでしょう。まず、対立が始まると、両者はそれぞれに巧みな外交戦を展開します。両者がとった戦略は、「自
元のページ ../index.html#104