おもしろコラム8月号
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    三國志の名君・呉王孫権の明晰さ三國志と言えば、私が登場人物の中で、もっとも好きなのは有名な劉備や諸葛亮(孔明)ではなく曹操と孫策。と、こう聞くと、乱世の奸雄・曹操はともかく、「孫策って誰?」と思われる方も多いのではないでしょうか。三國志の中で、曹操を祖とする魏、劉備建国の蜀と違い、呉のみは三代で    8月号-112  の覇業に対し、三国鼎立の一角を為す呉は孫権という名君がこれに対しますが、前二者がともに一代で築き上げた王朝だったのに対し、呉のみは、孫権が一代で築いたわけではなく、父・孫堅が築くも戦死した後、兄・孫策が復興、「江東の小覇王」と讃えられるまでになるも、孫策もまた、刺客に襲撃された際の傷が元で26歳で死亡。このとき、死期を悟った孫策は後継に弟・孫権を指名し、その際、孫権に対し、「兵を率いて戦場に駆け、天下の争いに与するような事においてはお前は俺には及ばないが、才能ある者を用い、江東を保っていく事については、お前の方が俺に勝る」と言ったと。また、劉備が死に臨んで諸葛亮に言ったとされる「息子が適任ではなかったら、君、とって変わり 

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