おもしろコラム8月号
143/146

    日本の人魚と永遠の命世界中で愛される童話『人魚姫』。デンマークの童話作家、アンデルセンが1837年に発表してから現代まで親しまれています。人魚が人間の王子との恋に破れ、体が泡になってしまうというお話は、誰もが一度は聞いたことがあるでしょう。童話の中の人魚姫は、上半身が人間で下半身が魚の姿というのもご存知ですよね。これこそが「人魚」の姿だと、多くの人にインプットされています。でも、日本の人魚はそうともいえないのです。日本における人魚は、頭部だけ人間や猿のようであったり、尾びれはあるものの手足が生えていたり様々。真贋不明なものの、魚サイズのミイラも存在しています。コロナ禍でにわかに脚光を浴びた「アマビエ」も、人魚の一種といえるでしょう。このように一言で「人魚」といえど、多種多様なものが暮らしているのが日本です。日本で最も有名な人魚にまつわるお話は、『八百比丘尼』ではないでしょうか。『八百比丘尼』の名の通り、女性が主人公であることの多いのも特徴です。あらすじは、人魚など特殊な物を食べ不老不死の体になってしまうというもの。八百比丘尼は永遠の命を嘆き、自ら命を断ってしまうのです。人類の夢といえる不老不死を手放すなんてもったいないと思ってしまいますが、よく考えてみるとこれほど辛いことはありません。不老不死であり続ける限り、最終的に取り残されてしまうのです。大切な人がどんどんと黄泉の国へ旅立つ中、一人で生き続けることに何の意味があるのかと八百比丘尼は考えます。出した結論が自死。悲劇の結末8月号-143に思えるでしょうが、人間も生き物である以上、命は終わりを迎えるものです。この自然の掟に抗わないことの大切さを、『八百比丘尼』は教えてくれているように感じます。    

元のページ  ../index.html#143

このブックを見る