おもしろコラム8月号
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つまり、戦争を遂行するためには戦闘だけではなく、資その意味では、ヒトラーのそれは必ずしも的外れでもなかったわけで、そのことは、同時期に大陸の反対側で攻勢をかけていた日本軍の極端な補給軽視姿勢を見れば納得できるものがあるでしょうか。源そやの食意料味ので確、保判と断いとっしたて戦は争、全決体しをて考、え間な違けっれてばいなならかずっ、    8月号-86  た・・・、私もその立場にいたら同様の判断を下した・・・と思えるもので、かつ、それが、最悪の結果に終わってしまったという例がひとつだけあります。それが平泉中尊寺の金色堂で知られる奥州藤原氏最後の当主藤原泰衡の決断です。まず、藤原氏は、泰衡の父、三代秀衡の晩年に、平氏討伐に目覚ましい活躍を見せた源義経を保護し、その異母兄、源頼朝と対決姿勢をとっています。ところがまもなく、秀衡が死に、泰衡が家督を継ぐと泰衡は頼朝の圧力に屈し、義経を殺害したばかりか、義経擁護派であった二人の弟も殺し、頼朝に対し恭順の意を示すも、頼朝はそのまま奥州に攻め込んで、泰衡は逃亡中、家      

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