おもしろコラム9月号
124/182

たのでしょうが、とかく、若者とは大声で騒いでいるうちにお互いに自分たちの名論卓説に酔ってしまうという所があるのも事実なわけで・・・。昨今でも時々、こういう人たちを見かけますが、果たして、彼らのうちのどれだけが「地図」を用意した上で言っているものなのでしょうか・・・。        (小説家 大村益次郎という人物をご存じでしょうか。東京の靖国神社に銅像として置かれている人物・・・と言えば思い当たる方もいらっしゃるかもしれませんが、事実上の日本陸軍の創始者とされている人です。ところが、この人は元々、長州藩出身とはいえ、松下村塾で知られる志士の出身ではなく、本来、幕末の激動とは何ら関係なく、家業の村医者を継ぐために、医学を学んだ学者さんだった。ただ、勉強の方は半端じゃないほどに出来た人のようで、防府の梅田幽斎、豊後国日田の広瀬淡窓、緒方洪庵の大坂適塾といった私塾に学び、長崎に遊学後は、適塾の塾頭を務めたほどの秀才だった。まあ、今日で言うならば、国立大学の大学院を出た後に欧米系の大学に留学、帰国後は母校で助教授を務めていたようなケースを想像すればわかりやすいでしょうか。池田平太郎絵:吉田たつちか )201209 幕末版オタク登用事例、大村益次郎   /- 123

元のページ  ../index.html#124

このブックを見る