おもしろコラム9月号
127/182

の交戦をほぼ同時に受け、まさに国が滅びる!という危機感のなかで、背に腹は代えられず奇兵隊という欧米型の国民皆兵制の軍隊を生んだわけで、それがさらに禁門の変、第二次長州征伐や鳥羽伏見の戦いといった戦闘を経ていく中で、その百姓町人を中心とする奇兵隊の勇猛さは、庶民の発言力の向上をもたらしたわけです。つまり、長州藩ではこういった呉越同舟的な雰囲気のなかで身分制の崩壊がすでに始まっており、ひいては階層の流動化「革命」というものを醸し出していたと言えるでしょう。したことにより、長州の日本化ならぬ「日本の長州化」とでも言うべき「革命」が起動したのではないでしょうか?即ち、従軍した諸藩の、いわゆる、足軽や郷士と言われる人たちの多くが、身分の上にあぐらをかいていた人たちの無能さを目の当たりにすることとなり、それがさらに百姓町人からなる長州の兵隊たちを見ることによって、もっと言うならば、自分の藩の上士が、百姓町人あがりの奇兵隊士にあごで使われるのを見た瞬間に、封建制というものは、なし崩しに崩壊したと言ってよく、この瞬間こそが現場レベルでの明治維新だったのではないでしょうか?新しい世の中が来たことを実感できたということが、これまで封建制のもとで、不遇を囲っていた庶民たちの支持に結びつき、そのことが、脆弱な基盤の明治政府を、意外に強靱な物にした隠れた理由であったようにも思えます。それが、その後勃発した戊辰戦争において、そのまま新政府軍の中核をなこの点、百の思想を机上で教えるよりも、人民の末端まで、皮膚感覚で、その点、薩摩においては、革命という機運が藩内で高まったのではなく、    126

元のページ  ../index.html#127

このブックを見る