おもしろコラム9月号
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観だと思います。これが、この後のフランスにおける「皇帝」と「国王」というものへの概念の違いとなっていったようで、実際、ナポレオン没落後、再度、フランス皇帝の座に着くナポレオンの甥、ナポレオン三世は選挙を経て元首の地位についた後、クーデターによって皇帝になるという経緯を経ています。これに限らず、彼ら欧米人の背景にはいつもギリシャ・ローマというものがあるようですが、このナポレオンの考えを導き出し、先例として周囲をも納得させた古代ローマの皇帝もまた、選挙で選ばれた訳ではないにしても元老院という議会があり、必ずしも専制君主だったわけではないようです。(元老院で余りにも攻撃される初代皇帝アウグストゥスに対し、彼の家族が憤慨したところ、アウグストゥスは「彼らの攻撃が言論であるうちは我慢するしかない。言論に寄らなくなると剣になる。」と言ったといいます。) 現代日本人の感覚から言うと、皇帝というよりはむしろ、「世襲される大統領制」といったところだったでしょうか・・・。この点で、古代ローマとほぼ同時期に成立した古代中国の皇帝というものは、乱立した「王」を力で平定した後に「王を凌ぐ存在」として制定されたもので、まさしく「王の中の王」、キング・オブ・キングスという意味であり、この点で、同じ皇帝と訳されていても西洋と東洋とでは、まるで概念が違うようです。そう考えれば、近代の西洋社会における皇帝とは中国における皇帝よりも、ローマ教皇と天皇という皇帝の権力を承認する超越的存在があったという意味では、むしろ、日本の征夷大将軍・・・つまり、「将軍」の方が感覚的には近かったのかもしれません。     (小説家 池田平太郎絵:吉田あゆみ)201109/-   141

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