おもしろコラム9月号
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明治維新がおき、日本の食文化に大きな変化が起こってからでも、日本人は鍋料理を愛し続けておりました。明治以降に誕生した鍋料理としては「牛鍋」が発達して今日の関東風スキヤキになりました。それ以外にも関東大震災後に全国に広まった「おでん」もあります。おでんは、漢字で「御田」と書きます。発祥は諸説あって、串に差したコンニャクなどに味噌を塗って食べる味噌田楽や醤油味で煮込んだ田楽から来ているという説。関西ではおでんのことを「関東煮」と呼ぶが、これは江戸の煮込み田楽が大阪に伝わったという説もあります。また一説によるとおでんが関西に広まったのは、大正時代に起きた関東大震災後のことで、関西から東京に救援に来た人たちが、おでんを「関東煮」として広めたという説もあります。また他説として、関西では関東煮と書いて「カントだき」「カントンだき」ともいう説もあります。他に中国の広東人がおでんの屋台や炊き出しを行なったことで、関西では広東と関東が一緒になり「カントンだき」となったという説もあります。実際に中国の広東地方には、日本でみる屋台のおでんと同じく、四角く仕切った容器に別々の具材を串に差して売る屋台料理があり、その料理が日本に伝わったとき、四角く仕切った鍋を上からみると「田」の字になるところから、御田(おでん)となったという説もあるのです。この中国の「おでん」は、見た目も日本のおでんとそっくりで、ある説によると、満州を征服した日本の関東軍が日本に持ち帰ったため「関東煮」になったという説もあるようです。しかしこの説の逆をいえば、関東軍が中国に持         明治以降に開発された鍋料理たち         57

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