おもしろコラム11月号
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昭和34年引な吸収合併を繰り返したことから、「強盗慶太」と呼ばれた五島慶太翁が亡くなったとき、翁の晩年、二人の人物が五島翁に食い込んでいた。    11月号-130  ひとりは、小佐野賢治。もう一人は、ホテルニュージャパン火災で悪名を高めた横井英樹。五島翁逝去で名実共に東急のTOPとなった翁の息子の五島昇氏(元日本商工会議所会頭、故人)は、この二人に対してどのような処遇をする決定を下したか。五島昇の決定は「小佐野は残し横井だけを切る」というものでした。このとき、五島昇と小佐野賢治は同学年の43歳、まるで違う生い立ちをもった二人の同級生はお互いをどうみていたのか・・・。私には、二人の間には、何か微妙な友情があったように思えるのです。横井英樹のみは3つ年上の46歳・・・、三人ともほぼ同世代と言ってよかったでしょう。ただ、それが、片方は従来通り、出入りを許され、もう片方は出入(1959年)8月14日・・・、東急の創始者にして、強                   決断の背景

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