おもしろコラム11月号
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り禁止となった。結論を言えば、それが「小佐野は一個の小佐野であったが、横井は一個の横井ではなかった」ということなのだと思います。小佐野は、ロッキード事件に連座したことで、どうしても、「政商」としてのダーティなイメージが強いようですが、一方で、五島慶太翁もさじを投げた会社の立て直しに成功するなど、会社再建に対する手腕には翁さえも一目おいており、別に東急に寄生しなくとも十分に一個の事業家として存在していたといえるでしょう。それに対し、横井は、同じく、白木屋乗っ取りなどで総会屋を巻き込んだ、その手段を選ばぬ抗争劇やその結果として、自ら、暴力団の襲撃を受けるなどというダーティな面は小佐野と同様だったのかもしれませんが、ただ小佐野が東急とは別個に会社を持ち、東急とは同盟関係に近い意識を持っていたのに対し、横井はあくまで、五島慶太の名を利用し、大東急に寄生することで利益を得ようとする寄生虫に過ぎなかったようです。五島昇の目は間違ってなかったようで、小佐野はロッキードに連座したものの、山梨交通を始め数多くの倒産寸前の会社を立て直し、かつ、「人切り」をしない事業家として、その評価は没後さらに高まっていると言われるのに対し、横井はホテルニュージャパン火災では、数々の違法運営により、多くの犠牲者を出し、業務上過失致死傷罪で禁固3年の実刑判決を受けるに至ったことからも明白であったろうと思います。ちなみに、小佐野賢治は1986年死去。享年69歳。五島昇は1989年死去。享年72歳。横井英樹は1998年死去。享年85歳     (文:小説家  /     池田平太郎絵:吉田たつちか)11月号-131

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