おもしろコラム11月号
133/200

   10月27日は吉田松陰の命日でした。寅次少年(松陰)は、幼時、叔父であり、師でもあった玉木文之進について兵学・政治学など、様々な学問を学んだと言われていますが、それ以上に教えられたのが、武士    11月号-132  というもののあり方・・・というものだった。文之進にとっての「武士」とは、即ち、「私心を持たない」と言うことだったようで、あるとき、講義中に寅次の額に虫がとまり、痒かったので、つい手でポリポリと掻いてしまった。それを見た文之進は、突如、烈火の如く怒り、寅次に殴る蹴るの凄まじい暴行を加えたと言います。この光景を見た寅次の母、タキは、後年、「息子は死んだと思った」そうです。文之進に言わせると、「痒みは私。講義は公(おおやけ)に役立つ為にやるのであるから公。とすれば、掻くことは私の満足である。それをゆるせば長じて人の世に出たとき、私利私欲をはかる人間になる。だから殴るのだ。」ということだったそうですが、現代人から見ると、少々、理不尽なようにも思えますが、やはり、松陰という人格を形成する上では必要なことだったのかもしれません。暖かく前向きな母だけで、後の         厳父と言うべき、武家の教育

元のページ  ../index.html#133

このブックを見る