おもしろコラム11月号
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先日、加藤(清正)家の家臣団の一覧表を見た際、やたらと、「旧OO家家臣」という添え書きが目につくことに気づきました。これは、門閥によらない人材登用を推進した織田信長の登場    11月号-136       と、その薫陶を受けた豊臣秀吉の勢力範囲拡大に伴い加速度的にそういう風潮が広まっていった結果だと思いますが、その意味では、戦国という時代は実力さえあれば高給に応じて転職し、自らのステップアップを図ることができる「大求人時代」であったと言えるのでしょうか。(その辺を端的に顕しているのが、「武士たるもの七度、主君を変えねば武士とは言えぬ」とうそぶき、最後は伊勢津藩32万石の藩主にまで上り詰めた藤堂高虎の存在かと。)ところが、その日本中の流れに染まらなかった異質な集団があります。「徳川家」です。その辺の異質さを示す話として、徳川家康の重臣で秀吉に引          徳川時代から続く現代日本人の就職観

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