おもしろコラム11月号
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に学問があったら、天下をとっちょる」とうそぶいたとか。と評したといいますから、いずれにしても、あまり学問がなかったのは事実なのでしょう。りながら桜田門外の変で暗殺された井伊直弼がいたわけですから、いくら過去の人とはいえ、それが読めなかったといういのはかなり驚きです。さらに、学生の中には、唐の安禄山(中国唐王朝に反乱を起こした将軍)を問われ、「唐にある富士山より高い山」と答えた者もあったらしく、西周を始めとする教授陣は「諸君らは旗本御家人というだけで士官となっておられたから、徳川も他愛なく滅びて、鹿児島の兵隊にやられたのだ。」と嘆いたとか。もっとも、中には後に明治新政府で頭角を現した人々も少なくなかったといいますから、皆が皆、そういう人たちばかりであったわけでもないのでしょう。それに何より、教授連が比較対象とした「鹿児島の兵隊」の方も実態はどうだったかというと、こちらも実態はあまり大差ないところだったようで、西南戦争時の西郷軍の副将格だった桐野利秋は「陛下」を「カイカ」と読み、指摘されると「おい    実ま話た、か同どじうくか薩知摩り出ま身せでん日が、清上戦司争で時あのる連西合郷艦隆隊盛司も令「長彼官を・し伊て東学祐問亨のは造新詣聞あ記ら者しをめ捉ばま、え到、「底ハ吾イ人バのツ及のぶバ所ツには非どずう」11月号-139

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