おもしろコラム11月号
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静な判断ができなくなる可能性があります。確かに、現場の連中の頑張りを見ていれば、「これはもう採算とれないよな」と思っても、なかなか、「はい、ここで打ち切り!」とは言い出せないもの。 泳界のエース高石勝男はピークを過ぎており、選考責任者は「高石には主将の任を託すも、選手としては出場させない」旨を宣告したといいます。これに対し、高石のこれまでの水泳界への貢献や努力を知る若手選手や監督は、「高石に有終の美を飾らせてあげて欲しい」と執拗に懇願するも、選考責任者は頑なに却下。理由は、「高石ではメダルを取れな    11月号-148  い」と。この決定は、オリンピックというものの性質を考えれば、当然の判断だったろうと思います。オリンピックは国民の税金を使って出場するものである以上、水泳界という「身内の自己満足」のためにあるわけではないからです。で、元警察官僚の佐々淳行氏の著を読んでいると、とかく、現場の目線で是非を判断しがちなんですよ。これは、「現場が一番実情をわかっている」という意味では、確かに、一見、当を得たことのように思えますが、よくよく考えてみれば、現場の声に引きずられた結果が、泥沼の日中戦争だったわけで。(男の本質は子供です。ナイフ一本持っただけで、自分が強くなったと勘違いするもの。ましてや、最新鋭超ド級戦艦・・・なんて持たされたら、誰だって使ってみたくなるでしょう。)私は、常々、氏の考えには共感すると共に、近視眼的なものを感じていたのですが、氏は歴代総理の指南役と言われた昭和の偉人・安岡正篤から「方面の騎」、戦前のロサンゼルスオリンピック開催前の選手選考の際、かつての日本水   

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