おもしろコラム11月号
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●開戦、無実の罪で憲兵から拷問!          百福さんの事業は、繊維にとどまらず貿易や飛行機のエンジンの製作と多岐にわたるものの、まだまったく食品と    11月号-64  は関係ないものばかりだったのです。このとき百福さんは日本有数の大金持ちになっておりました。やがて太平洋戦争がはじまると、百福さんは軍用機のエンジンの製作にも携わります。しかし、軍用の支給物資が何者かに盗まれるという事件が起こりました。ところが捕まったのは被害者の百福さん。捕まえたのは憲兵隊でした。実は憲兵隊の伍長の親せきが盗んでいたのです。もしかしたら百福さんが大金持ちであることへのやっかみや当時差別の対象であった台湾人で、成功者であったことが関係していたのかも知れません。憲兵隊に捕まった百福さんは棒で殴られたりと、かなりひどい拷問を40数日間受け続けたといいます。憲兵としては、百福さんが嘘の供述さえすれば、親せきの罪は百福さんに擦り付けることができるのですから、ことさらひどい拷問であったようです。実際、この当時警察や憲兵の拷問で死亡した人もいたほどです。しかし百福さんは嘘の供述はせず、知人である有力者のとりなしで釈放されます。そして終戦食前の昭和20年3月21日、百福さんは政財界や文化人が集まる大阪倶楽部というサロンで受付をやっていた安藤仁子さんに一目ボレ、猛アタックのすえ結婚します。この安藤仁子さん(朝ドラ『まんぷく』の主人公のモデルですね)、かなりモテモテであったらしく、かつてホテルで受付をやっていたころ、仁子さんを好きになって缶詰をコッソリ渡してくれる従業員がいたり、他にも結婚を申し込んでくる男性もいたのですが、お断りすると、なんとその男性が自殺してしまうということもありました。一方、百福さんは、実のところ郷里の台湾に2人の妻がいたのです。当時の台湾では一夫多妻は認められており、

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