おもしろコラム11月号
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食文化というと、どうしても一流料理人が作ったものや、外食文化について語られがちですが、もうひとつあまり注目されない食文化があります。それが家庭で普段食べている家庭料理。料理屋ができるようになるのは、ヨーロッパではフランス革命のあとから。日本では江戸中期くらいからです。それまでプロの料理を食べることができたのは、料理人を抱えている貴族や藩主など支配者階級か、上級の宿屋くらい    11月号-82  だったのです。料理屋ができることで、それまで食べられなかった洗練された食事文化が、一般階層にまで降りてきました。しかし家庭料理と外食料理は長い間、別物とされてきました。家庭料理は底辺の食事文化で、プロの料理人の作るものは頂点の食事文化とされてきたのです。これが融合するようになるには、20世紀まで待たねばなりません。では昔の家庭料理とはどのようなものであったのでしょうか? かイラストが出てきますが、たいていは都会の上流階級の料理で一般庶民のものとは少し違っていました。贅沢すぎるのです。そもそも昔は都市部以外では、大金持ちしか白米を食べることができませんでした。じゃあ何を食べていたのかというとかてめしです。家庭飯ではなく糧飯と書きます。これはコメが2~4割にムギ、ヒエ、アワ、イモ、ダイコンなどを混ぜて炊いたものです。稲作地域では、コメの割合が多くなりますが、やはりムギや雑穀を混ぜていました。大正から昭和初期の食生活を調べた「日本の食生活全集」(農村漁村文化協会刊)によると「(東京の)久留米の農家の例は、麦を7割あるいはさらに稗を1割入れた米3割か2割の飯」とあります。よく「江戸時代や戦前のご飯」とかで再現写真と 家庭料理という食事文化      

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