おもしろコラム11月号
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集まってきます。そのほとんどは若い独身男性たちでした。さてさて、この明暦の大火の時代までは、1日朝夕の2食というのが当時の食文化でしたが、若い肉体労働者たちは2食ではお腹が持ちません。かといってお昼ごはんのときにいちいち家に帰るわけにもいかない。朝お弁当を作るのも面倒だ。こういった人たちのために露天や屋台が出来て、食べ物を提供するようになり、彼らは朝昼夕と1日3回ごはんを食べるようになります。これが日本    11月号-86  食文化の1日3食のはじまりです。そんな外食用の飲食店第1号は『浅草金竜山の奈良茶飯(ならちゃめし)』でした。茶飯とは、煮出した茶にいり大豆・小豆などを入れ、塩味で炊いた柔らかいご飯で、お店では汁ものや豆腐、煮豆などをセットに出した定食の原型のようなものだったようです。最初は労働者相手のファーストフードだった外食産業も、やがて時代が進むにつれ、会席料理などを食べさせ、幕府や各藩の外交など交渉や接待の場に使われるような高級料理屋も登場するようになります。いまでも政治家が、料亭などで会食・密談をするのは、この時代からの影響だとか。江戸時代を代表する料亭に『八百善』がありますが、この八百善にはホントかウソか、あるエピソードが伝わっています。 人が数名、八百善を訪れ、「極上の茶漬け」を注文したところ、その茶漬けがある時、美食に飽きた通     

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