広報いとう8月号他回覧資料
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新AAゴール浜に到着した。 今はクロールで2時間余りだが当時は古来の抜き手泳法。碑文には「何の苦も 夏の汐路や 島三里」とあるが、完泳者26名は満足に昼食もとれなかった。 そうした遠泳が、この時代になぜもてはやされたか。少し下るが、昭和10(1935)年の死亡者グラフ を見たい。 そこにある「死の山」は3つ。4歳と20歳・65歳である。当時の社会は、未来を担う青年が肺結核などで年に約3万人も命を失う社会でもあった。 そこで注目されたのが遠泳ではなかったか。「神秘の海原」12㎞を自然と一体化して泳ぎ渡れば、心身が鍛練されて結核を寄せつけない健民・健兵が育つ。環境や身体を清潔に保つ「衛生」を越え、海洋スポーツにより積極的な健康づくりを行うことが時代の要請であった。 時は流れ、結核で多くの青年が亡くなる時代は遠く去った。徴兵制も今はない。 にもかかわらず、先人たちの伝統を現代の若者が受けつぎ、3人一組の団体競技として発展させているのが頼もしい。詳しくは各支店または営農販売課(0557-45-6585)矢野恒太編『日本国勢図絵』昭和13年版国勢社初島遠泳の記念碑スタート表紙の写真 昨年、72回目を迎えた初島熱海間団体競泳大会。その起源は大正15=昭和1(1926)年の遠泳にあった。 今から94年前の8月3日、朝10時55分に初島を出た泳者は4時間15分の力泳で午後3時10分に熱海の〈加藤 好一〉「アイランドルビー目揃え会」 6月25日に経済流通センターにおいて「クッキングトマト栽培の会」によるアイランドルビー目揃え会が行なわれました。日本で唯一の日刊農業専門紙 日本農業新聞を購読しませんか?熱海市東海岸町39泳ぎに泳いで健康づくり

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