おもしろコラム 巨椋 修
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昭和の時代にあった駄菓子屋というのは、駄菓子だけでなく子ども向けのちょっとしたオモチャ、メンコとかビー玉とか、夏には花火とか女の子向けのビーズとかが売っているお店で、子どもたちの社交場でもありました。地方によって違いますが、ちょっとした軽食を食べさせてくれる駄菓子屋もありました。関東ならもんじゃ焼き、関西ならお好み焼きやたこ焼きなどなど。また駄菓子だけではなくお醤油や小麦粉などといったものを一緒に売るお店もありました。  駄菓子というのは、おそらく江戸時代に生まれたものであろうと推測できます。それ以前の時代だと、子どもたちがお小遣いをもってお店に行くということが考えにくいのです。食べ物を屋台で売るようになったのが江戸時代で、それも江戸や大阪といった都会からでした。外食店は江戸の初めの頃にはありませんでした。人口が増え、豊かになってはじめて外食というものができるようになるようです。まして子ども向けの駄菓子屋というのは食うや食わずの状態では生まれません。江戸時代、子どもに水あめやちょっとした安いお菓子を行商などで売るようになり「一文菓子」などと呼ばれていたようです。一文をいまの値段に換算すると、15円から35円くらい。子どものお小遣いで買える値段ですね。ただしそれは、江戸大阪といった都会や各藩の城下町だけで郊外となるとそんなものはなかったかも知れません。江戸時代の田舎の子どもは現金をもらうことはなかったでしょうし、彼らのお菓子は山に生る果実や親が作った干し柿であったでしょうから。これは昭和初期の田舎の子どももそう変わらなかったかも知れませんね。駄菓子の歴史は江戸時代から292        

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