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丸の内トイレ考

・文:小説家 池田平太郎
・/絵:吉田たつちか
・発行:2021年7月

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 東京丸の内の練兵場跡地を三菱が政府に拝み倒されて、当時の東京府の予算より高い価格で購入したのは明治23年(1890年)。その4年後、三菱は、ここに地下1階、地上3階から成る最初の赤煉瓦ビル「三菱第一号館」を竣工、明治38年までに三菱七号館を完成させます。日本初のオフィス街の誕生ですね。(この間、時代的には日清日露の大戦争を内包していたわけで、改めて、三菱の底知れぬ財力に感嘆を禁じ得ません。)建物にはすべて、電気、ガス、電話上水道から、水洗トイレまでもが完備。さらに、三菱三号館に至っては、日本の貸事務所初の英国製エレベーターも設置されていたそうで、こうやって出来上がった街並みを見て、人々はロンドンを彷彿とさせるということで、口々に「一丁倫敦(ロンドン)」と呼んだとか。
 ただ、華麗な外観と裏腹に、下水道だけは整備が間に合わず、明治期を通して、汲み取りだったとか。つまり、せっかく建物の中は水洗トイレでも、一歩外に出ると大八車が汚物を運ぶ光景が見られたということですね。(ちなみに、丸の内の一角には、今でもまだ肥溜めらしきものが生きています。植え込みの中に、強烈な悪臭とともに、今にも朽ちそうな木の蓋があるのですが、ここに限らず、なぜか、こういう物は木の蓋が多いんですよ。たぶん、鉄だとすぐに腐食してしまうからでしょうね。)
 で、俳人・高浜虚子が、大正12年(1923年)、ちょうど、関東大震災のときに、丸ビルに入居していたそうで、当時の丸ビルのトイレについて回想しています。曰く、落書はまだいいとして、「洋式便器の上へ上って用を足す者」(使い方はビルの開館当初、ドアに使い方の張り紙がしてあった)、「水を流さないで立去る者」(一つだけではなく、早朝などに行くとすべての便器に汚物が浮いていた)、「便所につるしてある紙をまるめて、穴の中にごしごし突っ込んでいる者」(むしろトイレットペーパーが既にあったということに驚き)などなど。
掃除婦は「とがめるよりも、先に立って、こちらで清潔にすると、遂にはいたずら心を止めるようになろう」と言っていたそうですが、いつの時代も清掃の人は大変ですよね。ましてや、三菱一号館はその30年前ですから、どういう状況だったか・・・。ただ、この点で言えば、大正天皇のトイレは既に洋式便器でしたが、我が家に初めて洋式便器が御目見得したのは残念ながら、昭和45年(1970年)頃。それでも、最初は違和感あったし、抵抗もありましたよ。ましてや、その50年、80年前でしょ。利用者たちにも、西洋の物を押しつけられることへの反感もあったのかもしれませんね。

(小説家 池田平太郎)2021-07

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