*当店では挿絵入りコラムを800本以上在庫(毎月4本増加)しています。貴社のチラシや社内報などに使えるよう単品での販売もおこなっております。
・お買上げいただいた、デジタル媒体(イラストおよび文)は、1回のみ使用OKです。・学級新聞、社内報、広報誌、企業のニュースレター、新聞、雑誌等にご使用いただけます。・使用の際、作者(絵と文共)のキャプションは必ず記載してください。・使用されましたら、当該ページをFAX(042-563-0277)またはメール(atecinoue@gmail.com)にお送りください。・著作権は放棄しておりませんので、当該イラスト、文(コラム)について、単独データとして再販はできません。
<購入手順>
1.一覧から必要なコラムを見つけてください。2.ページが開いたら画像を開いてください。記載しているコラム分はわざと小文字で薄く表示していますので、ご了承ください。3.画像をクリックすると購入ページが開きます。4.1点(イラストと文のセット)に付き500円(税込み)です。pdfファイルにてダウンロード販売です。画像を別途ダウンロードしたい時は、このページから行ってください。(画像にマウスをあてて、右クリックし、「名前を付けて画像を保存」を選択してダウンロードしてください。5. 入金を確認次第、当該コラムセットを添付してメールで送信して納品とします。
TEBRA書店・CCpaper  店主:井上勝彦  関連サイト https://omosiro-column.com/

渋沢栄一の息子とエジソンの息子 

・文:小説家 池田平太郎
・/絵:吉田たつちか
・発行:2021年4月

*挿絵入りコラムの単品販売です。


*画像をクリックしてショップでお買い上げください。
*ダウンロード販売です。


渋沢栄一は、宿敵、三菱の岩崎弥太郎との死闘の最中、妻・千代をコレラで亡くしている。栄一の嫡男篤二はこのとき10歳。普段家にいない父が看病に帰ってくるのが嬉しかったと、何ともいじらしい言葉を遺しているが、その父は千代死去の翌年、あっさり再婚。栄一としても地位ある身。いつまでも独り身というわけにはいかなかったのだろうが、篤二少年は新婚の姉夫妻に養育される身となる。ただ、姉もこのときまだ19歳。責任感の塊と化したのはいいが未熟は否めず、ひたすらガミガミ言うばかり。一方、その夫はまじめ一筋の東大法学部教授。肩書だけなら、理想の環境のように思えるが、「立派な物だけ見せておけば立派な人に育つ」というのは早計。
 篤二は熊本の五高に進学するも、金銭がらみの女性問題を起こし中退。遊興三昧に入ってしまう。しかし、23歳で公家の娘と結婚。翌年、長男誕生で、このまま落ち着くか・・・と思われたが、39歳のとき、新橋の芸者と暮らし始めたことが新聞に面白おかしく報じられ、曲折の末、41歳で廃嫡。妻子と別居し、芸者との生活を選ぶ。(とはいえ、女中を何人も雇えるほどの生活費が栄一より出ていた。)結局、篤二は、昭和6年(1931)、栄一死去の翌年に後を追うように死去と・・・ただこれ、実はアメリカの発明王エジソンのところがまったく一緒。
 エジソンは、1871年、24歳のときに結婚。二男一女をもうけるが、1884年、長男、トーマス・エジソン・ジュニアが8歳のとき、妻が死去。残された息子の養育は伯母に任せ、2年後、エジソンは再婚。やがて、成長したジュニアは「エジソン二世電機会社」を設立するも倒産。さらに、怪しげな連中に「エジソン二世化学品会社」の名義を貸し、詐欺で訴えられたことから、エジソンはやむなく、「エジソン」名の使用禁止を求めて「エジソン二世化学品会社」を告訴。エジソンというのは屋号ではなく姓であるから、まさしく、日本でいうところの廃嫡に相当するであろう。その後、ジュニアは農場を買ってもらい、農業に専念するよう言われる一方で、多額の仕送りを受ける。ジュニアはその後、酒に溺れ、エジソン死去の4年後、60歳で自殺。
 篤二とジュニア、二人ともまるで幼い頃に父と生き別れになった子が、終生、父親の影を慕い続けたような・・・、まあ実際、生き別れになっていたのだろうが・・・。ちなみに、年齢的には、エジソンは栄一の7歳下だが、死んだのは栄一死去の前月。つまり同世代であり、また、両者、しっかり面識もあったとか。日米、国は違っても、これが、この時代の偉人の子の一つの形だったのかもしれない。

(小説家 池田平太郎)21-04

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です