・文:小説家 池田平太郎
・/絵:吉田たつちか
・発行:2021年5月
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過日、友人二人が、二人とも夜8時に寝るというのを聞いて、ちょっと驚きました。確かに、私ももう十分に、年とともに朝早く目が覚めるようになってはいるのですが、さすがに、夜8時はまだ仕事していますよ。
で、ちょっと思ったことがあります。アメリカの鉄鋼王、アンドリュー・カーネギーは、子供の頃、寺の鐘が毎夕8時に鳴ると寝床に入り、鳴りやむ前に寝たとか。カーネギーは1835年、イギリスのスコットランド生まれですから、日本でいえば、高知県出身の三菱財閥創始者、岩崎彌太郎と同年ということになります。つまり、当時は日本に限らずスコットランドに限らず、世界中の大半の人が日没とともに布団に入り、夜が明けると同時に起き出す生活をしていたわけですね。
というのも、日没後の灯りには鯨油や菜種油しかなく、どこもそうした油は高価で、庶民には無縁の品でした。しかし、時代の足音は着々と、庶民への灯りに近づいてきます。1859年、アメリカ合衆国ペンシルバニア州で油田発見。既にその13年前に、石油から灯油を精製する技術が紹介されていましたので、油田の発見は、人々に一気に光源としての灯油を普及させることになりました。(灯油は鯨油一ヶ月分の費用で、一年分の灯りが確保できたとか。ちなみに、その石油の精製で財を成したのが、石油王と呼ばれたロックフェラー財閥の創始者、ジョン・ロックフェラー。こちらは1839年、ニューヨーク州リッチフォードの生まれですから、カーネギーと岩崎彌太郎の4歳下、つまり、同世代ということになります。)
ちなみに、日本に衝撃を与えたペリー来航は灯油精製技術紹介と油田発見の間の1853年。ペリーが日本に開港を求めた理由の一つに、捕鯨船の物資補給地の確保があったのはこのためで、逆に言えば、石油発見がもう少し早ければ、ペリーは日本に開国を求めなかったか、もしくは、開国圧力は弱まっただろうということです。このことは、日本のみならず、ペリーにとっても不幸なことで、ペリーは、日本を開国させながら、重圧から解放された気の緩みがあったのでしょうか、直後に体調を崩し、ようやくに帰国してみれば、自分を送り出した政権は違う党の政権に変わっており、祝うどころか、国民からは「予算の無駄遣い」と激しい非難にさらされ、失意のうちに死んだとか。
一方、この頃は、第一次ともいうべき、日本からの海外留学ブームだったようですが、彼らはペリーの悲哀などに思いをはせることもなく、ただただ、日本では大身の家か裕福な商家などでしか見られない「灯り」が、どこの家庭にも普通にあることに、アメリカの豊かさを感じたでしょう。
(小説家 池田平太郎)2021-06